正福寺の由来
當山は比叡山横川の高僧で往生要集の作者恵心僧都(942〜1014年現香芝良福寺の生まれ) 御作阿弥陀如来霊像を本尊として1008年開創されました。正福寺は大和盆地では西の方、 山裾 より東面しています。
正面に三輪山・竜王山等大和青垣国定公園を望み、 南(右方)に二上山・ 葛城山・金剛山と北(左方)には 信貴山・生駒山と連なる生駒金剛国定公園を両袖に抱える景勝の地です。
御本尊様(臍の緒の弥陀)を安置した日より、この地は本宮山と名付けられています。 本地垂迹思想の熊野本宮に因んでいます。 西(後方)には聖徳太子様ゆかりの分川の池と旗尾池もあります。
右手旭ケ丘左手美しケ丘の高台よりは大和三山の眺望も飛鳥・吉野山の遠望も楽しめます。 近くに武烈天皇陵や平野塚穴山古墳により、古代史の舞台としての昔も偲べます。 聖徳太子様ゆかりの今泉の地名は太子道です。
過ぎし歴史をしのぶ時約840年程の昔には法然上人 (浄土宗宗祖1132〜1212)も 斑鳩法隆寺夢殿での祈願・
磯長叡福寺(太子墓所)への墓参の途次當山の 阿弥陀様を
訪れ祈願なされました。
慶長元年(西暦1596年)の
春より正順和尚に依って浄土宗の寺院として届出がなされ それよりは総本山知恩院の直末寺院として今日に到るものです。
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